習志野市   産業

習志野市    産業

農業
住宅化が進み、農地は減って来ているが、近郊農業は行われている。主な産物はニンジンやネギなどで、菊田川・浜田川上流域において水田が僅かに存在する。
工業
東習志野にいくつか大きな工場がある。千葉港から広がる京葉工業地域には、重化学工業が発達している。
習志野市は当初、内陸部・東習志野の旧陸軍習志野演習場を解放した開拓地を、農地法による売買制限解除前に買い上げ、工業団地を造成して日立製作所などの大工場を誘致した。沿岸部では第二次埋立の行われた1970年代に公害が大きな社会問題となったこともあって大工場の誘致は行わず、埋め立て完了後、茜浜に中小工場による工業団地を造成した。
また、鷺沼で天然ガスの採掘が行われていたが、現在は休止中である。
商業
習志野の陸軍施設の玄関口として総武線津田沼駅北口には戦前から駅前商店街が形成されたが、それらの多くは船橋市(旧二宮町)に属する。津田沼駅北口・南口の再開発事業によって大型商業施設が集積する1970年代後半までは京成電鉄の谷津遊園(現・谷津)・京成津田沼・京成大久保・実籾の各駅周辺に駅前商店街が形成される以外に目立った商業施設は無かった。その中で谷津遊園に続く谷津遊園駅南口と、大久保の陸軍施設(戦後は国立病院および大学)に続く京成大久保駅北口の商店街は早くから発展し、市内で最も繁華な地区であった。
1970年代後半、千葉県立千葉工業高等学校と習志野第一中学校といった駅周辺に大きな面積を占めていた学校施設の移転後に再開発事業の行われた津田沼駅周辺では、隣接する船橋市域に跨って長崎屋やパルコ、イトーヨーカドー、丸井(以上北口)、高島屋、ダイエー(以上南口)などの大型店が相次いで進出し、新京成電鉄沿線の船橋市東部も含めた膨大な居住人口を背景に津田沼戦争と呼ばれる激しい競争が展開した。これらの大型店のうち長崎屋、高島屋は1980年代に、ダイエーが2005年(平成17年)末に、丸井が2007年(平成19年)に撤退しているが、2003年(平成15年)10月4日にイオン株式会社がイオン津田沼ショッピングセンター(現・イオンモール津田沼)をオープン、2007年(平成19年)11月9日にファーストリテイリングがユニクロを核店舗としたミーナ津田沼を丸井撤退後の店舗にオープンさせ、更に2008年(平成20年)にはダイエー撤退後の津田沼サンペデックビルがモリシア津田沼と名称を変え(後々ダイエーは戻ってきた)、ヤマダ電機LABI津田沼店とイオンモリシア津田沼店ほか多数テナントをオープンさせた。
2000年代に入って、造成の遅れていた京葉線新習志野駅南側に郊外型大型商業施設が進出した。これに対してかつては団地住民の日常の買い物で賑わった袖ヶ浦団地内のショッピングセンターは、苦戦を強いられながらも比較的健闘していたが秋津団地のショッピングセンターは撤退に至り、跡地はマンションやセブンイレブンになった。

 

本日、習志野市東習志野自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

習志野市泉町千葉県共済会習志野病院に通院治療をされ戻りました。